思えば俺が惚れてつき合ったはずなのに。
とうとうこの家を離れる時がやってきた。二人で場所も、間取りも決めたこの家を、離れる事を決めたのは彼女だった。正確には口に出したのが彼女だったと言うべきかもしれない。
「支度できた?」
「俺の持って行くものなんてしれてるさ」
「そう?二年も暮らしたのに、私たちここで」
「何が言いたいんだ」俺を無視して彼女が言う。
「もう私の声を聞かなくて済むんだから」
俺は彼女のこの声に惚れたんだよな、そういえば。ちょっとハスキーで、かなり艶っぽいこの声に。出会ったころの思い出がよぎった。
俺の耳をさすりながら、小声でもはっきり聞こえる距離の中たくさんのことを話したきがする。だが何をしゃべったのか、何もしゃべっていなかったのか今ではなにも思い出せない。なぜ俺たちは別れることになったのかも含めて。
「荷物結構あるな。俺の車で運べばいいよ」
「いいのいいの。自分で運ぶから」彼女が大きなバッグを持ち上げた。
「駅もすぐそこだし。そういえば駅から近いところって譲らなかったのあなたよね」
「そうだったかな」歯切れの悪い声に、自分でも驚いた。
「じゃあ、俺先にいくわ」
「うん、またね」
「またな」
そういえばこんなオレンジの車がいいって言ったのは彼女だったな。それだけは確かだ。
ルームミラーに映る彼女は、荷物の上に座りこんでいた。駅までは遠そうだ。
昔の人はいった。「苦しみから逃れて次を選ぶのか。苦しみを糧に踏み止まるのか。君はどちらだ」
もう岐路は遠くに過ぎ去ってしまった。だが・・・。俺はハンドルを右にきった。精一杯の力をこめて。