「今の時代コンピューターなしじゃ上げらんないんだ、花火ひとつ」
普段にもまして酒の量が多いとは思っていた。そして彼の口とは無縁だった愚痴が飛び出してもいた。聞いてはいたが、聞いていなかった。聞きたくなかった。嫌な時間が流れる中、彼は唐突に切り出した。
「もう何十年もこんなことやってきたけど、どうして続けてこれたか分かる? ちょっと勘のいい奴ならやんないよな」
その年も彼は、湖のほとりで花火の設営をしていた。この地方では有名な花火大会で大きな花火がいくつも舞うものだった。時間と暑さだかなんだでピリピリとした緊張感が辺りに漂っていた。花火を上げる側はいつも追われている、このときばかりは。
そんな時だ。背中越しに声が聞こえた。それは俺に対してのものだった。
「お兄さん今年もお願いね」
年は同じくらいか、側には親御さんもいた。この滅茶苦茶忙しい時に、よりによって。俺は愛想を作り直して頑張りますみたいなことを言った。きれいな子だったが、それだけだった。最初の印象は。
翌年も同じ場所で花火の準備に飛び回っていた。
「今年もよろしくお願いしますね」彼女だった。昨年より美しさが増していた。そばには母親の姿もあった。なぜだろう、妙な好奇心、邪な気持ちが顔を出した。
「もう準備はあらかた終わってるし、一緒にこの花火見ませんか」
俺は嘘をついた。何より昨年は気付かなかったが、彼女の左手には細長い棒が握られていたからに他ならない。
母親は僕らから離れていった。俺は口を開いた。「花火ってきれいだろ」
「生まれてから一度だって見たことはないけどきれいだと思うわ、この世のものとは思えないくらいに」
「あなたの見てる花火と私の見ている花火は違うと思うわ。違って当然よね。でもね音、花火の音を聞くだけで私にはわかるの。きれいなんだろうなって。」
彼女が恐ろしいほどに美しく見えた。「結構自信あるよ、私の耳は。想像が目の前の花火を追い越しちゃってるかもしれないけど」彼女が白い歯をみせて笑った。
まさか自分が泣いているなんて思いもしなかった。それ自体悔しいことだが、くやしがることは涙したことだけではない。
彼女と言葉を交わしたのはそれが最期だった。彼女は病気を患って亡くなったと母親から聞かされた。空から見下ろす花火はどんな風に映るのだろうか。
俺の花火はきれいですか。
昔の人は言った。「行動を起こした後悔より、行動を起こさなかった後悔の方が心に深く残る、それもずっと深く」
彼にとっての花火という存在が果たして俺にはあるのか。見ているだけでは駄目だ。俺自身がハナビを打ち上げなければ。俺は一口だけ残ったビールを流し込んだ。こんなにも苦いとは思わなかった。