友人から聞いた話だ。彼には詩人の妻がいた。彼女は早くに亡くなったが最後に詩を残した。その詩は世に出ることはなかったがそれを見た友人は言葉を失った。言葉では表せなかったこの世を、この世の美しさをすべて語りつくすほどだった。そしてその詩自体も美しかったと。その詩の題は『この世の終わり』だと。
僕は彼女の頬にキスをした。明るいうちに、しかもこんな大勢人がいるところでなんてと彼女は言った。かわいい事言うなと思う反面、この機会を待っていたのは僕のほうだった。
「じゃあ、周りを見てみなよ。」
皆が立ち止まって空を見上げている。昼間だというのにやけに暗くなってきた。世紀の天体ショーの始まりだった。
「僕らのことなんか誰も気にしちゃいない。この暗闇が僕らを覆ってくれるんだ。」
「今だけだ、後にも先にも」
僕はもう一度顔を近づけた。
友人は考えた。あの詩をのせるメロディーを。あの恐ろしくも美しい詩に対する強烈なインパクトを伴うメロディーを。彼女の気持ちなんてどうだってよかった。彼と彼女が出会い、共に生きた事、その証しと呼べるものが欲しかった。天体ショーなんて比じゃない、彼女の顔はもう二度と見ることが出来ないのだ。
言葉にするには恐ろしくても、そこにメロディーが伴うと人々の心に届きやすいのではないか。力を持つ曲と力を持つ詩が交ざり合うと、共同体としてひとつのカタチになる。単独では成しえなかった、より大きな力が人々に届く。音楽は唯一無二のカップルとして存在する。それは僕らも、彼らも同じだ。最高のマリアージュだ。
昔のひとは言った。
「妻という存在は、私にとって永遠の死活的テーマである。 No wife is no life」
あの曲は彼と彼女のもとを離れ、みんなのものになっている。
そして今ではパチンコ台にもなっているみたいだ。
素直に、音楽の持つ力は素晴らしい。